「あとで後悔することになりそう」だから捨てられない
2020年3月26日「木曜日」更新の日記
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- 人間関係の「腐れ縁」であれば、別れるほうがいいかも、と思いながらもつき合ってゆくうちにほのぼのとした情が生まれ、一心同体のようになってゆき、強い絆を感じるようになり、別れるに別れられないようになってゆくこともある。長年連れ添った夫婦など、まあ、そんなもんである。しかるに人とモノとは、どうか。そんな情は、モノとの関係においても生まれるのか。それはないだろうというのが、私の考えだ。たしかにモノへの愛着、情といったものを感じることはある。しかしそれは、使っていればこそなのだ。たとえば料理人が毎日丹精込めて研ぎながら、五年十年と使い続けている柳葉包丁に愛着や情を感じるようになるのはわかる。社会人になった記念に買った万年筆、その後十何年も使い続け、いまはしばしばインクもれを起こすようになっているのだが、捨てるに捨てがたいという気持ちになるのもわかる。しかし使いもせず、そこらに投げ出していたモノに何年か後、愛着を感じるようになるのかといえば、それはないだろうと思う。ジャマなモノは、やはりいつまでたってもジャマなモノなのだ。したがって「捨ててしまったら、あとで後悔することになるのではないか」ということもありえない。もし、たとえ「あのとき捨てないで、取っておけばよかった」と後悔するようなことになっても、それはそれで、いいではないか。身の回りに要らないモノばかりが散乱し、右往左往し、バタバタし、イライラし、ストレスを溜め込む。そんな慌しい落ち着きのない生活から、いままで無縁でいられたことを考えれば、あきらめもつく。後悔のひとつや、ふたつ、どうってことない。
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