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おわりに家づくりの原点に立ち返る(1)

2020年1月12日「日曜日」更新の日記

2020-01-12の日記のIMAGE
大正一二年九月一日正午二分前、東京を中心とする関東地方を突然の大揺れが襲った。関東大震災である。四五万軒以上の家屋が焼失し、一○万人もの生命が失われた。擢災者はじっに三五○万人を超えた。平日の真っ昼間だっただけに、多くの家族がばらばらとなった。火災から逃れて避難した本所(現在の東京都墨田区)の被服廠跡に猛火が襲い、そこだけでも三万人以上が焼死した。今では、九月一日がなぜ防災の日であるのか、知らない人も多い。ましてや、本所の惨事を教訓として、安全な広域避難所が随所に設けられるようになったことも、あまり知られていない。阪神淡路大震災からも、すでに五年以上が過ぎた。関東大震災を知らない世代も、神戸の惨事は目の当たりにしたはずである。あの地震は、人々の心にどんな影響を与え、どのような教訓を残したのだろうか。私は阪神淡路大震災の直後に、神戸を訪れた。そして無残に崩れ落ちた家々をこの目で見た。瓦喋の下で亡くなった多くの人たちのことを思うと、涙が留めどもなく流れた。人々の生活と生命を守るはずの「わが家」が、一瞬にしてすべてを押しつぶしたのである。自身の体験からも家づくりに関わる者としてもくやしくてならなかった。命からがら避難した人たちの姿も忘れられない。「家や財産は失っても、生きてさえいれば何とかなる」という言葉を何度も聞いた。しかし、あのときほど痛切に感じたこともない。「今、この人たちにいちばん必要なのは家なのだ」家さえあれば、家族が肩を寄せ合うことができる。家さえあれば、雨露をしのぐことができる。家こそは、家族を守ってくれる傘なのだと。平和と繁栄に慣れ切ってしまった私たちは、「まさか」の危険を忘れてしまう。

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