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建築家である私の家の場合(4)

2020年1月17日「金曜日」更新の日記

2020-01-17の日記のIMAGE
今思えば、アトピーもVOC(ホルムアルデヒドなど揮発性有機化合物)もあったものではない。しかし、そんな苦労をして建てた家に、妻は七年しか住めなかった。三六歳にして、ガンで逝ってしまったのである。その家には、彼女の希望もたくさん入れてあった。だから、彼女が亡くなった段階で、家も死んだ。そんな気がしたものである。妻がいなくなって、私は主夫になった。小学生だった息子たちと三人。家政婦さんの助けを借りながら、自分で料理も洗濯も掃除もやった。「家事」や「育児」とまともに向き合った。家事や育児がいかなるものか、「家族」というものが男にとってどういうものか、そして「家」は家族にとって何なのかを、しみじみ考えさせられる経験だった。その後、私は再婚し、わが家を大きくリフォームした。「家」と「家族」の再構築である。箱根に山荘を建てるときは、ムクの木材をふんだんに使った。思いきり深呼吸できる家がほしかった。世田谷の家で、コンクリートむき出しは人間の住む家ではないと思い知らされていたからである。後に詳しく述べるが、はっきり言って私の建築家としての家づくりは大失敗と思った。妻が若死にしたのも、私のせいだったのではないかと思ったほどだ。その後、「家」に対する私の思いは、私自身の人生の変遷とともに揺れ動いてきた。しかし、時がたつほど強くなる確信がある。「家」は家族を守る〃傘′′である。「家」は家族のドラマが展開する舞台である。「家」をないがしろにしては、いい家族は育たない。「家」を建てるということは、一生に一度、まさに人生最大の大事業なのだ。

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