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家は「買い時」だから買うものではない

2018年4月13日「金曜日」更新の日記

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 家というのは、自分や家族が暮らしを営むための器である。ありていに言えば、暮らしのための道具である。道具であれば、目的や使い勝手を最優先させるのが普通だが、人生最大と言われる買い物のわりには、このへんが、どうにもあやふやな人が多い。  それは思うに、「買うのと借りるのと、どちらがトクか」という、損得勘定が先に立ちすぎるせいではないだろうか。「借りるより買った方がトクだし、いまは買い時だと思ったから」という理由でマイホームを手に入れる。そして肝心の物件については、「まあ、価格的にも手頃だし・・・」とおっしゃる人が少なくない。  なぜ、借りるより買った方がトクなのか。なぜ、いまが買い時なのか。手頃な値段とは何なのか、などなど疑問は次々と浮かんでくる。 「いったい、この人は何のためにマイホームを買ったのだろう」と思ってしまう。家は買い時だから買うものではない。賃貸では満足できない、マイホームでなければ実現できないなにがしかの夢や目的があって、それを現実のものとしたいと強く望み、また資金的にそれが可能なタイミングで考えるべきものではないだろうか。  金利が安い、物件価格が安い、税金でトクをする。市場環境がいいから「いま買わないと損をする」などと考え、購入に走るのは、本末転倒というしかない。住宅は金利や価格や税制で買うべきものではない。ましてや「いまはマンションブームだから」とか「みんなが買っているから」などと、世間の顔色をうかがって買うようなものではない。  家は、自分の望む暮らしを実現するための道具である。必要のない道具を買う人はいない。であれば、その人にとって必要なときこそがその人の買い時である。多少値段が高かろうが、金利が高かろうが、税制上の優遇措置がなかろうが、必要であればほしいし、買いたいと願うのが当然である。資金事情も人それぞれ違う。したがって、その人にとって買い時というのはあっても、万人のための買い時というのはないのである。  また高い買い物である以上、「なるべくいい条件で買いたい」と購入のタイミングをはかるのは当たり前のことだが、それが先に立ちすぎると家を損得勘定で考えるようになって、本来の目的である「自分の望む暮らしを実現するための器である」という肝心要の点が、どこかに抜け落ちてしまう。 「自分のものにならないものに、毎月家賃を払い続けるなんてバカげている。お金をドブに捨てるようなものだ。家は買った方がいいに決まっている。資産になるし、老後の住まいの心配もない。世間の信用だってぜんぜん違う」。  戦後の経済成長を担った60代から上の世代には、そのような意識が色濆く残っている。無理もない。バブル経済が弾けるまでは、まさにそのような価値観で生きることこそが、人生に勝利することであったのだから。  しかしバブルが弾け、数々の戦後日本の神話が崩れるなか、「家さえ手に入れれば幸福になれる」というマイホームの神話もまた過去のものとなった。地価の大暴落で「家=資産」の図式は崩壊し、マンションを転売して、上がりは戸建ての持ち家へという住宅双六も成立しなくなった。 家は資産ではなくなったのである。  銀行から借金をして、土地を買って出店する。その土地を担保にまた銀行から金を借りて土地を買い出店する。これを延々と繰り返した挙げ句、巨額の債務を抱え、瀕死の状態でのた打ち回っているのが、スーパーのダイエーである。  ダイエーの経営手法は、ある意味で戦後の日本経済を象徴している。それは、「地価は永遠に上がり続ける」「土地は有力な資産である」という、何とも愚かな共同幻想の上に築き上げられた、まさに砂上の楼閣であった。存亡の危機にあえぐ金融機関とゼネコンの、巨額の不良債権債務の問題は、地価上昇を前提とした、この共同幻想にこそ、その核心がある。  60代以上の親を持つ人は、「家を買えば幸せになれる」「家の一軒くらい持つのが、男の甲斐性」などというステレオタイプな親御さんの意見を聞くことがあるかもしれない。たしかに彼らの成功体験は間違いのない事実だが、それは過ぎ去った過去の話である。これからの時代には通用しない。

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